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小説
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夜が明けはじめた頃、仙蔵達は山を抜け、麓の小さな農村に辿り着いていた。

「では響談が既に?」

響談とは主に偽造文書による敵地かく乱や潜入による諜報活動を行っていた信長配下の忍である。

「ああ間違いない。近いうちに信雄が動く筈だ。」

村外れの納屋に隠れ、板で乱雑に打ち付けられた壁の隙間から外を見渡した後、仙蔵は腰を下ろした。

「こんな時に里を抜ける羽目になるとは思いもしなかったわ。」

頭を擦りながら又兵衛の事を思い出し、不機嫌そうに悔やむ仙蔵を見て燕が苦笑する。

「だが里を捨てる訳にはいかない。燕、お主は忍と里を守りたいか?」

仙蔵の真っさらな問いかけに、燕は少し間をおいた後、真剣な眼差しでこくりと頷いた。
それを確認すると、仙蔵は藤林長門から受けていた密命を燕に伝えはじめた。

「忍を存続させよとの事だ。」

「は?」

十日ほど前、この命を受けた時の仙蔵と同じ態度を見せた燕に苦笑しつつ仙蔵は続けた。

「信長を殺る。」

「!」

no.03.jpg






余りにも無謀な命であった。
だが長門はそれを重々承知の上でそれを仙蔵に命じていたのである。
それは、伊賀・甲賀の敗北を早くに悟った長門の苦肉の策とも言えた。

暫く呆気に取られていた燕だがすぐに冷静さを取り戻すと意を決し、改めて仙蔵に付き従う事を約束した。

「腕の立つ者が四人、いや五人は必要じゃ。燕、目ぼしい忍はおるか?」

「仙蔵様を追う者の中に一人、伊賀者で八右衛門と言う方がおります。」

「ほう。腕は立つのか。」

「戦闘は中の下、ですが変装に長け潜入や諜報に秀でております。」

「はっは!追っ手をこちらが追う事になろうとはな。」

そう笑いながら仙蔵は懐から出した笹の葉の包みを解き、兵糧丸を出し燕に一つ渡すと、残りの一つを口に放り込んだ。

「追っ手の合図、手勢、分配を教えてくれ。」

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対峙したまま、二人は微動だにせず相手の隙を伺った。
だが同じ里の術を心得た下忍頭と下忍であり、ましてやかつて同じ部隊にて作戦を共に遂行していた二人でもある。
互いに戦法と技、癖を知り尽くしており、そう簡単には動ける筈も無かった。

しかし間もなく厳しい形相であった仙蔵の口元が緩み、笑みへと変わる。

「わしがまともに戦うと思うたか。」

そう得意気に吐き捨て構えを解くと、くるりと振り返り燕に背を向け足元の石を蹴飛ばした。

「侮るな!」

隙だらけの仙蔵目掛け勢いよく飛び掛ろうとその場を動いた次の瞬間、突如落ち葉に隠されていた網が燕を包み込み、そのまま宙に吊るされ身動きが取れなくなった。
重りの砂利と縄と網により仕掛けられた罠である。

「罠とは卑怯な!」

それを聞いた仙蔵はまた声を上げて笑った。

「忍に向かって卑怯とは笑わせる。そこで頭を冷やしておれ。」

燕の才能を見出し、くの一としての技を仕込んだのは紛れも無いこの仙蔵である。
幾ら手錬の忍と言えども、未だ師には及ばない己の実力を悔やみ、落胆する燕にすぐさま仙蔵は問い掛けた。

「燕はこの先も忍の道を歩むのか。」

何とも馬鹿げた問いに拍子の抜けた燕が今度は笑った。

「教えておいて、何を言うか。」

だが仙蔵は冷静に切り替えした。

「よいか燕。我等の様な実行部隊の先にあるのは死のみ。これからは頭の切れる者が生き残る時代になる。」

そう言うと仙蔵は古寺の軒下から使い古され壊れた火縄銃を取り出した。

「いくら苦無が旨かろうがこれには適わん。そしてあの信長公は既にこれを二千丁も手に入れておる。」
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この時、織田信長の次男、北畠信雄はとある伊賀者の密告により伊賀の内情を知り、国境の丸山城を修築、これを拠点として伊賀攻めの機を伺っていた。
しかし前年、伊賀の百田藤兵衛率いる地侍衆がその構築時に情報を察知し、一度は先手を取って火をかけ追い返している。
この事は伊賀、甲賀の間では笑いの種となっていたが、仙蔵は
後に控える織田軍本隊の動向を危惧し警戒していた。

「・・・だが今は、抜け忍を始末するのが我が使命。」

「わしを殺ったところで、その後同部隊であったと因縁を付けられお主も始末されるのが落ちだ。」

「・・・。」

そう言うと仙蔵は罠の縄を懐から出した手裏剣で切り、燕を降ろした。
燕は既に戦意を喪失し、得物をしまい込むと仙蔵の話に耳を傾け始めた。

「・・・何か考えがあると言うのですか。」

「勿論だ。だが今は・・・。」

突然仙蔵は燕の後方を目掛けて目にも止まらぬ速さで手裏剣を放った。
大木の上から呻き声と共に一人の忍が落下する。
と同時に仙蔵はその追っ手の下に駆け寄った。

「伊賀者までもが追っ手におるとはな。とにかくここは離れるぞ。話は後だ。」

息が絶えた事を確認した仙蔵は燕と共に忍の亡骸を古寺の境内に上げ、その場を後にした。

AD1578-天正7年6月 

そこが東海の山陰である事は推測できたが、密集して生い茂った老木の葉と厚く曇った空の所為で月明かりすら差し込まない暗闇はもはや何処の国かも不明であり、異常な不安感と恐れを生む。
常人ならば既に発狂しているとも思われるその山道で、仙蔵は慣れた動作で木を背にもたれかかり、竹筒に残った僅かな酒を音も立てず一気に飲み干すとすぐに走り出した。

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下忍であるが故に無名ではあるが、統率力に長け、腕も立ち、頭も鋭い。
だが気性の荒さから度々上層部とぶつかり、そして遂には里を後にした。
伊賀の戒律程ではないが甲賀であってもその罪は重く、手練の追っ手が数十名放たれている事は明白であった。
だが仙蔵は忍の掟を百も承知でそこに居るのである。

「よく生きてるな。」

追っ手として放たれるのはやはり下忍衆である。
だが戦闘に狩り出され、常に第一線にて行動する下忍の恐ろしさは下忍頭であった仙蔵が一番よく知っていた。

事の発端は実に他愛も無い。
四日前、甲賀五十三家の一人である上忍、伴長信の屋敷にて食事中、長信の配下との口論から始まった。
長信が厠へ行った僅かな間の出来事である。

「川魚しか食らった事のない奴にこの南蛮料理の味が分かるか?」

長信配下の甲賀中忍、又兵衛が半笑いで言ったその言葉に仙蔵はこう返した。

「口舌で人を斬るは小者の証。お主が中忍頭になれぬ理由が今分かったわ!」

箸を投げ、立ち上がった仙蔵はそのまま立ち去るかと思いきや、突然振り返ると鮮やかに又兵衛の腕をへし折った。
酔っていたせいもあるだろうが、事もあろうに上忍の屋敷で上司の腕を折るなど前代未聞の出来事である。
その後は言うまでもなく、又兵衛によって事を大袈裟にされた仙蔵は里を後にしたのである。

かつて隣国の要請を受け、戦に派遣されていた仙蔵にとって里周辺の地理は手に取るように分かったが、既にその界隈から遥か離れた地の山陰では持ち前の方向感覚と勘を頼りに進むしかない。
己と又兵衛の馬鹿さ加減に苛立ちながらもひたすら東へ向かい走っていった。

竹筒の酒が底をつき、代わりの水を渓流から汲み上げ終え、少し進んだ時、ふと異変に気づく。
卓越した方向感覚を持つ仙蔵であったが、あらゆる感覚を研ぎ澄ましてみても方位を読み取れない。

「水に夢中になっていたか・・・。」

だが止まれば追っ手に追いつかれる。
無我夢中に、道なき道をただ走り抜けていくしかない。
だがその後方に、仙蔵の僅かな足音を頼りに追尾する影の姿があった。

暫く下り坂が続き、向かい風が勢いを増すと同時に雲の流れが速くなる。
やがて厚い雲の僅かな隙間から月明かりが差し込んだ。
すると前方の木々の合間に、ほぼ朽ち果てた古寺がぼんやりと見える。

仙蔵は足早に古寺へ向かうと、落ち葉で埋まり濁った池を軽く飛び越え、古木の陰に身を隠した。
間もなく追っ手の下忍が古寺の北方の林より姿を現す。
警戒しながら、息を殺した小柄な忍は古寺の敷地内に足を踏み入れた。

「燕か。」

「!」

背後からの仙蔵の声に一瞬動揺した追っ手は、直ぐにひらりと振り向き黒塗りの苦無を逆手に持ち構えた。
小柄ではあるがその苦無を使った忍技はかつて手錬の浪人を何人も殺めた程の腕前である。

「いかに仙蔵様と言えども、手加減はいたしません。」

「はっはっは!それで良し。」

忍具を一切持たず、仙蔵は拳を握るとその場で静かに構えた。

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